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「海外の建築資格制度等に関する調査報告会」(平成26年12月2日開催)資料からのお勉強
(http://www.ieiej.or.jp/other/201411/01.pdf)
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今回、平成26年12月2日に行われた「海外の建築資格制度等に関する調査報告会」の資料を見る機会にめぐまれました。
その中で、何点か、考えたことがありますので、書いてみます。
建築資格制度を、もっている国、つまり、建築の設計を行うという行為について、規制をしている国が、普通であるということです。
建築という生産物が、人や物の全を守る箱であったり、都市や風景を形成する人工物であったり、歴史に刻まれていく文化であったりと、社会の中で、幅広く、かつ、重要な影響を与えていくものであり、必要な知識、良識などが備わった人間が作るべき、まかせられるべき、というような論点なのだろう、と想像したところです。
では、資格を与える、ということは、どういうことか・・評価の結果、一定の水準に達している、と判断されたことを示すものかな、と思うところです。
ここで、評価の大筋は、受けた教育、建築に携わってきた経験、試験、さらに、建築を設計する権利継続のための義務の4つに分かれるように思います。また、資格とは、少し性格が違うのかな、と思いますが、商取引として、建築設計を行うための要件が規定され、行政的に、建築を管理していくためのパーツとなっている、ということかなと思います。
ただ、建築を生産していくときの条件として、各国、各州などで設定されている法令、技術基準は様々で、結果として、土着する建築物を作る地域に適用されている法令、基準に合致するものをつくらなければいけない。つまりは、その知識を有し、物にしていくべくその法令、基準を使いこなす能力が必要だと思います。さらに、空間とか文化に対し、ひとつの答えを出して、建築生産を行っていくわけですから、その地域を知り、文化・時代の流れの中で、ある時点の解答を出していくわけですから、そのための知識も必要でしょう。でも、こうやって考えると、たとえば、国単位での資格を持っている方がいたとして、その中で、ある建築場所の、ある時点で、最もよい解答をした人を選ぶ、というプロポーザル、コンペなどは、特定地点・時間の個別の建築資格を与えているようなものかもしれません。ちょっと、横道にそれましたが・・
こうして考えていくと、ある建築家が、はじめて乗り入れた国で設計をし、建築生産に関わっていくとなると、人間が必要な知識を吸収するためには、かなりの時間が必要となり、現実的とは思えず、結果的に、地元のことに対する知識を有する建築家や技術者とのコラボレーションが必要になってくるだろうと思いました。
また、資料の中に、建築設備技術者の国際化対応についての説明資料があり、現地の方々からのアンケート結果により、言語・コミュニケーション能力不足、現地の法規・技術・工法などに不満等を感じていることでした。この結果を反映して、教育の現場や会社での教育システムなどにどういう影響が出てくるのか、ということに、興味をもった次第です。建築設備技術者の説明資料については、ここで説明された資料ではありませんが、インターネット上に公開されている資料(http://www.jaeic.or.jp/pdf/tittle3.pdf)がありましたので、参考に。